虚史平成

嘘漫談家・街裏ぴんくが、たまたま目撃していた“平成で起こった事件・現象”を独白。今だから明かせる「秘話」を証言する「アーカイブ」プログラム。聴取者を存在しない架空の平成…「虚史平成」という異界に誘う。

番組メールアドレスはpink905@tbs.co.jp

番組作りの参考のため、以下のアンケートにご協力をお願いいたします。

https://www.tbs.co.jp/radio/podcast/en.html


BGM&ジングル 綿貫雪

制作:TBSラジオ

TBS Podcast:https://www.tbsradio.jp/podcast

Society & Culture
Documentary
51
虚の二十一 地上デジタル放送開始
2011年(平成23年)。アナログ放送から完全に地上デジタル放送へと移行しました。街裏ぴんくが政府が隠していた「本来しなくてはならない作業」を告発します。©ondoku3.com
11 min
52
虚の二十 だんご3兄弟
1999年(平成11年)NHK教育テレビの『おかあさんといっしょ』のなかで発表された「だんご3兄弟」。タンゴの曲調とユニークな歌詞が児童のみならず保護者にも受け、CDは260万枚以上を売り上げ平成を代表するヒット曲になりました。さて編曲を担当した堀江由朗の正体、明かされます。©ondoku3.com
14 min
53
虚の十九 炎のチャレンジャー
1995年(平成7年)。テレビ朝日で「ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!!」の放送が始まりました。様々な企画が行われるなか、とりわけ人気を博したのが「電流イライラ棒」。街裏ぴんくも若い頃、実は挑戦者として出演していました。©ondoku3.com
11 min
54
虚の十八 バトルえんぴつ
バトエン。バトル鉛筆の略で鉛筆を転がして上向きになった面で使用するゲーム、また鉛筆のこと。平成10年(1998年)スクウェア・エニックスの『ドラゴンクエストシリーズ』のキャラを用いたものが小学生を中心に人気を博しました。今回、街裏ぴんくは自前の1人用バトエンを持ってきました。©ondoku3.com
12 min
55
虚の十七 古畑任三郎
平成6年(1994年)。フジテレビ系列で放送された刑事ドラマ『古畑任三郎』。脚本は三谷幸喜。主演は田村正和。豪華なゲストが演じる犯人を田村正和演じる古畑警部補が追い詰めていく緻密なストーリーとおしゃれな掛け合いに日本中が夢中になりました。どうやら一回だけ田村正和さんが脚本を担当された回があったようで……。©ondoku3.com
13 min
56
虚の十六 ゆとり教育
2002年(平成14年)。従来の「詰め込み型教育」への批判に対し生徒たちの個性を伸ばす「ゆとり教育」が実質的に開始されました。「土日」を休みとする「学校五日制」の導入、授業時間の削減、さらには「総合学習」の授業が盛り込まれました。そして街裏ぴんくの生まれ故郷、大阪府堺市ではとある家具屋の六代目が立ち上がったのでした。。©ondoku3.com
13 min
57
虚の十五 カードダス
カードダス。それはバンダイから発売されているトレーディングカードの自動販売機のこと。 駄菓子屋やスーパーなどにも設置されていました。漫画やゲームのキャラクターのカードが子供達の間で大ブームに。 中でも平成元年(1988年)に販売開始の『ドラゴンボール』のキャラクターのカードが一番人気だったようです。 少年の街裏ぴんくも夢中だったのですが、忘れられないカードダスがあったのです。
13 min
58
虚の十四 ユニクロのフリース
1998年(平成10年)。株式会社ユニクロより発売された「フリース」が爆発的なヒットを飛ばします。日本の冬の風景そのものを変えてしまうほどの社会現象に発展しました。そんなフリース発売を記念したイベントを見ていた街裏ぴんくは、そこで飛び出したとある有名人のとんでもない差別発言に対して告発します。©ondoku3.com
7 min
59
虚の十三 きんさんぎんさん
100歳越えのご長寿双子姉妹として人気を博したきんさんぎんさん。きっかけは平成4年(1992年)に放映されたダスキンのテレビCM。「きんは100歳100歳、ぎんも100歳100歳。ダスキン呼ぶなら100番100番」このキャッチコピーで一気に全国的知名度を獲得しました。以降、CDデビューをするなど「きんさんぎんさん」ブームが巻き起ったのです。当時、二人を支えた街裏ぴんくが誰もが知っているあのCMの裏話を語ります。
10 min
60
虚の十二 踊る大捜査線
1997年(平成9年)フジテレビ系列で放送された刑事ドラマ『踊る大捜査線』が放送されました。警察組織の内情を出来るだけリアルに描き出した本作は高視聴率を記録。また「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」というセリフは流行語にもなりました。出演者だった街裏ぴんくが織田裕二さんとの知られざる諍いを語ります。
9 min
61
虚の十一  外国村ブーム
1994年(平成6年)。三重県志摩市にスペインをイメージした超巨大テーマパーク「志摩スペイン村」が開園しました。こうした外国をイメージしたテーマパーク他にも作られ新潟のロシア村、東京ドイツ村など、一時代を築き挙げました。街裏ぴんくも大分県のとある外国村に足を運んだのですが…
14 min
62
虚の十 ファービー
1999年(平成11年)。玩具会社トミー(現タカラトミー)より既にアメリカで人気を博していたペットロボット「ファービー」が発売されました。こちらが話しかけると返事をしたり、歌って踊ってくれたり、独自のファービー語を話すなど、当時としては画期的なオモチャだったのです。今、街裏ぴんくが二十年ぶりに自分のファービー人形に電源を入れようとしています…
10 min
63
虚の九 ジュリアナ東京
1991年(平成3年)5月15日。東京の芝浦に大型ディスコ「ジュリアナ東京」がオープンしました。「ワンレン」「ボデイコン」姿の女性たちが「お立ち台」の上、羽飾りのついた扇子を振りながら踊る姿はまさにバブルの象徴でした。ところでジュリアナ東京ができる前、この土地にはいったい何があったのでしょうか?そこで密やかに勃興していた若者カルチャーについて、街裏ぴんく氏が振り返ります。
12 min
64
虚の八 高橋尚子
2000年(平成12年)に開催されたシドニーオリンピック。 女子マラソンで高橋尚子選手が金メダルを獲得。 当時の世界記録を更新するという快挙を達成しました。 恩師・小出監督との師弟関係も大きな感動を呼びました。 高橋選手はQちゃんの愛称で親しまれ、またスパートをかける時にサングラスを投げる所作も印象的でした。 街裏ぴんく氏も勿論、もともと高橋選手チームの一員。当時を振り返ってもらいましょう。
13 min
65
虚の七 エアマックス狩り
1995年(平成7年)にナイキから発売されたスニーカー「エア・マックス95」が若者の間で大人気となり「第一次スニーカーブーム」が到来しました。品薄状態が続いたために当時、エアマックスを履いた若者が襲撃される「エアマックス狩り」という物騒な事件が多発するなど社会問題にまで発展しました。この状況に、街裏ぴんく氏は遂に立ち上がりました。
9 min
66
虚の六 ナタデココ
平成5年 西暦1993年頃。 食感が楽しく、またヘルシーなイメージから「ナタデココ」スイーツが若い女性を中心に大ブームとなりました。ファミリーレストラン「デニーズ」がメニューに加えたことがきっかけとされ、その後、広くナタデココの存在が知れ渡るようになったのです。ではナタデココとは何だったのか。街裏ぴんくがその正体をメディアで初めて明かします。
10 min
67
虚の五 映画『リング』公開
平成10年(1998年)1月。ホラー映画『リング』が公開し大ヒット。「呪いのビデオテープ」の謎を追うストリーの本作ですが、そこで登場した貞子が日本中を恐怖に陥れました。その後、続編の『らせん』や、『呪怨』『着信アリ』など続々とホラー映画が封切られ、軒並みヒットを記録。ジャパニーズホラーブームが巻き起こりました。最後に街裏ぴんくからお知らせもあります。
15 min
68
虚の四 ギャルブーム
1990年代から2000年代にかけて。派手なファッションに身を包んだ「ギャル」たちが渋谷を中心に登場。 「コギャル」「アムラー」「ヤマンバギャル」など様々なギャルが出現しました。 さて、街裏ぴんく氏はいつにもまして浮かぬ表情です。
14 min
69
虚の三 多摩川にタマちゃん出没
平成14年(2002年)8月頃。 多摩川にオスのアゴヒゲアザラシが迷い込む事態が発生。 その愛くるしさから「タマちゃん」の愛称で親しまれ、全国的に「たまちゃフィーバー」が巻き起こりました。 このフィーバーに対し街裏ぴんく氏がどうしても話しておきたいこととは…
13 min
70
虚の二  モーニング娘。デビュー
平成10年(1998年)1月28日、後の国民的アイドルとなったモーニング娘。がシングル「モーニングコーヒー」でデビュー。 モーニング娘。はテレビ番組『ASAYAN』のオーディション企画で落選したメンバーから選抜された5名で結成されました。 街裏ぴんくも勿論、当事者。 改めて当時のことを証言してもらいました。
14 min
71
虚の一 新元号「平成」発表
1989年1月7日。小渕恵三官房長官が記者会見室で「平成」と墨で書かれた新しい元号を掲げました。この歴史的瞬間の背景に何があったのか起きていたのか。当事者である街裏ぴんくが証言します。
13 min